JR釜石線の歴史



●釜石線とはどんな路線か。


釜石線は、花巻〜釜石間全長90.2kmのローカル線で、花巻市・遠野市・住田町・釜石市の4つの市と町に駅を持ちます。

花巻市が花巻・似内・新花巻・小山田・土沢・晴山の6駅。
遠野市が岩根橋・宮守・柏木平・鱒沢・荒谷前・岩手二日町・綾織・遠野・青笹・岩手上郷・平倉・足ヶ瀬の12駅。
住田町が上有住の1駅、釜石市が陸中大橋・洞泉・松倉・小佐野・釜石の5駅で、合計24駅あります。


●なぜ釜石線の愛称が「銀河ドリームライン」なのか。


「銀河ドリームライン釜石線」という愛称は、平成7年4月1日に地域密着型の鉄道路線を作っていくために「釜石線営業所」が発足したさいにつけられたものです。この愛称は、釜石線の前身である岩手軽便鉄道が、岩手県出身の作家・宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』のモデルとなっており、また宮沢賢治のさまざまな作品の舞台になっていることから来ています。釜石線で使われている普通列車専用の車両(キハ100)の側面(窓下)には、下のようなロゴ(ステッカー)が貼られています。
(このステッカーが貼られている車両は、山田線の釜石〜宮古間(一部列車を除く)だけでなく、東北本線の花巻〜盛岡間の釜石線直通普通列車でも見ることができます。)


例えば、宮沢賢治の『シグナルとシグナレス』は、東北本線と釜石線の信号機を擬人化したもので、駅によっては信号機を模したアイテムがあります。


また、宮沢賢治の作品には、エスペラント語の単語が多用されることから、釜石線の各駅にエスペラント語による愛称が付けられています。岩手県出身の作家である、「銀河ドリームライン釜石線」という愛称がついています。また、宮沢賢治の作品にはエスペラント語が多様されていることから、釜石線の全ての駅にエスペラント語の愛称がつけられています(なお、釜石線営業所の管轄となっている山田線の釜石〜浪板海岸までエスペラント語の愛称がついています)。


●釜石線の現在の列車

現在釜石線では、釜石〜花巻間を全区間走る列車は、上り列車が11本、下り列車は10本です。そのうち3本は盛岡〜釜石間を直通運転する普通列車です。また、2往復は花巻〜宮古間(釜石線・山田線経由)を直通運転します。さらに、そのうちの3本は、新幹線乗り換えや盛岡への行き来に沿線住民に利用されている、盛岡〜釜石間を直通運転する「快速はまゆり」です(一部列車は宮古始発で、釜石・花巻を経由して盛岡まで行きます)。

「快速はまゆり」は、以前「急行陸中」として運転していました。しかし、2001年12月改正から一部列車、2002年12月改正から全列車が「快速はまゆり」となりました。「はまゆり」という列車愛称は、釜石市の花の名前から来ています。「快速はまゆり」は、「急行陸中」時代に、釜石線の活性化をもくろみ、特急列車並みの車両が導入され、自由席でもリクライニングシートに身を委ねながらワイドな窓から釜石線の車窓を楽しめる車両もついています。(なお、都合により、自由席全てにリクライニングシート車両以外の車両が入る場合もあります)

釜石線は快速だけでなく普通列車についても、東北新幹線の接続も半数以上の列車は20分以内で接続するように配慮されています。

なお、上りの最終列車と、下りの始発列車について、遠野発着の列車が1日1往復あります。早朝の遠野始発の列車は宮古駅まで直通運転しています。



●釜石線の歴史


1913年(大正15年)に岩手軽便鉄道として開業したのがルーツで、花巻〜仙人峠(1950年に廃止)間は、岩手軽便鉄道でした。線路の幅が762mmの軽便鉄道として敷設したもので、1913年(大正2年)から1915年(大正4年)にかけて全通しました。この間、終点側で部分開業していたために、西線と東線に分かれて運営を行っていた時期もあったそうです。岩手軽便鉄道時代の西線と東線について、国有化後の路線では全て釜石西線側に含まれています。


全線がつながるうえで、一つ大きな困難がありました。仙人峠〜大橋(現在の陸中大橋)間は、約4kmの距離に対して300mもの標高差がありました。この区間について、建設費が大きな負担になることが理由で、一時は鉄道の敷設を断念したそうです。その代わり、全長3.6kmのロープウェイ(索道)で、貨物や郵便を輸送することとし、一般の利用客は、この区間の約5.8kmの山道を徒歩で渡らなければなりませんでした。


しかし、1927年(昭和2年)に、鉄道敷設法別表第8号の2に「岩手県花巻ヨリ遠野ヲ経テ釜石ニ至ル鉄道」が追加。1929年(昭和4年)には現在の釜石線となる路線の着工が決定しました。1936年(昭和11年)に岩手軽便鉄道が買収されて国有化されて現在の釜石線となりました。これが現在の釜石線の出発点となる出来事です。


このとき、前述の3.6kmの索道も買収。国鉄史上唯一の索道営業が行われることになりました。1944年(昭和19年)、釜石東線が開業して、釜石西線(かまいしさいせん)に改称されました。


岩手軽便鉄道の線路の幅が762mmのため、1067mmに線路の幅を直す作業が順次行われました。これと平行して、仙人峠を越える鉄道(現在の足ヶ瀬〜陸中大橋間)の建設が始められました。た。検討を重ねた結果、1936年(昭和11年)6月、国鉄は、足ヶ瀬駅から分岐して足ヶ瀬トンネルで一旦気仙川流域へ出たうえで、上有住駅を経由して土倉峠の下を土倉トンネルで抜け、仙人峠東側斜面を大きく北へ、オメガ状のカーブを描いて陸中大橋駅へ降りていくルートにするという路線にすることにしました。例えば現在、花巻方面行き(上り列車)に乗車のさい、陸中大橋駅が近づくとこれから渡る鉄橋が見えて、陸中大橋駅を発車してしばらくすると、眼下に陸中大橋駅と数分前に通ってきた線路が見えるのはそのためです。


   


改軌工事について、1944年(昭和19年)に花巻〜柏木平間が完成。花巻駅は、国鉄の駅前にあったものが、国鉄の駅へ乗り入れるように直されました。そのさい、現在の似内駅までの区間は、大きく線路が付け替えられました(かつての花巻駅は、花巻電鉄の駅として残りました)。改軌工事も一筋縄ではいかず、太平洋戦争が激化したために、仙人峠の新線建設工事と同時に中断されました。


戦後、1946年(昭和21年)にアイオン台風が岩手県を襲ったために、当時の盛岡〜釜石間の人的・物的な流れの根幹をなしていた山田線が、壊滅的被害を受けて長期にわたって不通となりました。そのため、山田線の代替路線として、釜石線の建設・改築を優先的に行うように指令が出ました。幸い太平洋戦争前に、かなりの部分の路盤工事が完了し、土倉トンネルも貫通してした状態だったので、1948年(昭和23年)の工事再開後も、1949年(昭和24年)には柏木平〜遠野間、1950年(昭和25年)には遠野〜足ヶ瀬間の改軌が完成し、足ヶ瀬〜陸中大橋間も新線として連絡できるようになって現在の釜石線として全通を成し遂げることができました。昭和25年に現在の姿になりました。



●釜石線の出来事〜開業から現在まで〜


年月日 出来事
1913年(大正2年)10月25日 釜石線の前身となる「岩手軽便鉄道」が、花巻〜土沢間に開業。
花巻(国有鉄道花巻駅とは別駅)、土沢が駅として新設。似内・矢沢(現在の新花巻駅)・幸田は停留所。
1914年(大正3年)4月6日 幸田(現在の小山田駅)が、停留場から駅に昇格。
1914年(大正3年)4月16日 土沢〜晴山間延伸開業。晴山駅が誕生。
1914年(大正3年)4月18日 岩手軽便鉄道の遠野〜仙人峠間が貨物線として開業。
貨物扱いの場所として、遠野・上郷(現在の岩手上郷)・仙人峠、給水所として足ヶ瀬が新設。
1914年(大正3年)5月15日 遠野〜仙人峠間について旅客営業を開始。遠野・上郷・仙人峠が旅客扱いをする駅となる。
1914年(大正3年)10月25日 足ヶ瀬が給水所から信号所となり、列車の行き違いができるようになる。
1914年(大正3年)12月15日 晴山〜岩根橋間延伸開業。岩根橋駅が誕生。
1914年(大正3年)12月15日 鱒沢〜遠野間延伸開業。鱒沢と綾織が駅として誕生。二日町(現在の岩手二日町駅)は停留場になる。
1915年(大正4年)4月10日 停留所として鳥谷ヶ崎が新設。
1915年(大正4年)5月1日 停留所として赤川が新設。
1915年(大正4年)7月30日 柏木平〜鱒沢間が延伸開業。このとき、宇洞と柏木平が駅となる。
1915年(大正4年)9月1日 青笹が停留所となる。誕生。
1915年(大正4年)11月23日 岩根橋〜柏木平間が全通する。宮守・平倉が停留所になる。
足ヶ瀬が信号所から駅になる。幸田が現在の小山田という呼び名の駅になる。
1916年(大正5年)2月10日 上郷が岩手上郷と駅名が改称される。
1916年(大正5年)2月25日 二日町が停留所から駅となる。
1924年(大正13年)12月16日 荒谷前が駅として新設。宇洞が鱒沢(2代目)、鱒沢(初代)が中鱒沢、二日町が岩手二日町と改称される。
1926年(大正15年)8月15日 停留所として関口が新設。
1927年(昭和2年)12月13日 停留所の赤川が廃止。
1928年(昭和3年)6月1日 中鱒沢駅が廃止。
1930年(昭和5年)7月16日 貨物のみの扱いをする中鱒沢が新設。
1936年(昭和11年)3月25日 平倉が停留所から駅になる。
国有化後
1936年(昭和11年)8月1日 釜石線の花巻〜仙人峠(64.4km)が買収され国有化される。
貨物のみ扱い中鱒沢が廃止。鳥谷ヶ崎・青笹が停留所から駅になる。
1943年(昭和18年)9月20日 花巻〜柏木平間の線路の幅が、762mmから1067mmに変更。花巻〜似内間で線路の付け替えを実施。鳥谷ヶ崎駅が廃止。
1944年(昭和19年)10月11日 釜石東線開業にともない、「釜石西線」と路線名を改称。
釜石東線の釜石〜陸中大橋間16.5kmが貨物線として開業。陸中大橋が貨物扱いを始め、洞泉・小佐野が信号場になる。
1945年(昭和20年)6月15日 釜石駅〜陸中大橋駅間で旅客営業が始まる。それにあたって、松倉駅が新設。信号所の洞泉・小佐野が駅となる。
1946年(昭和21年)4月1日 操車場として中妻を新設。
1949年(昭和24年)8月1日 操車場として中妻が廃止。
全通以降
1950年(昭和25年)10月10日 足ヶ瀬〜陸中大橋間12.5kmが延伸開業し全通。このとき上有住駅が新設。足ヶ瀬〜仙人峠間が廃止。
遠野〜足ヶ瀬駅間の線路の幅が762mmから1067mmに変更。 仙人峠・関口の両駅は廃止。
釜石東線を釜石西線に編入して、釜石〜花巻間90.2kmが全通し、現在の「釜石線」になる。
1961年(昭和36年)10月1日 小山田駅について、貨物取扱が廃止となる。
1967年(昭和42年) SLの運行が釜石線で終了する。
1972年(昭和47年)11月1日 小山田駅が無人化される。
1983年(昭和58年)3月10日 綾織駅と松倉駅が無人化される。
1985年(昭和60年)3月14日 岩根橋駅が無人化される。
矢沢駅が現在の新花巻駅に移転して、駅名が新花巻に。釜石線から新花巻駅で新幹線に乗り換えることができるようになる。
1986年(昭和61年)11月1日 洞泉駅について、交換設備が廃止され無人駅となる。
1987年(昭和62年)4月1日 釜石線が東日本旅客鉄道(JR東日本)に継承。JR釜石線になる。
1989年(平成元年)7月29日 SL(D51498)が花巻〜遠野間を22年ぶりに復活運転する。
1990年(平成2年)3月10日 「急行陸中」3往復のうち、2往復に回転リクライニングシートを装備したキハ110系を投入。
盛岡〜釜石間約30分スピードアップを実現。
1990年(平成2年)7月29日 SL(D51498)が花巻〜釜石間、「ロマン銀河鉄道'90」という愛称で、23年ぶりに釜石線全線で運転される。
1991年(平成3年) 「急行陸中」の運転終了後に、花巻発釜石行きの「急行銀河ドリーム号」の運行が始まる。
1991年(平成3年)3月16日 「急行陸中」が全列車がキハ110系での運転になる。
1992年(平成4年) 「急行銀河ドリーム号」の運行が終了となる。
1993年(平成5年)4月1日 釜石鉱山株式会社の石灰石鉱山へ続く専用線が上有住にはあったが、JR貨物としての駅は廃止となる。
1993年(平成5年)10月1日 釜石線がCTC化に伴い、上有住駅は駅長が廃止され、交換設備を撤去・無人駅に。陸中大橋駅・足ヶ瀬駅・岩手上郷駅・似内駅は駅長が廃止され、無人駅に。換設備撤去。特殊自動閉塞化に伴い、岩手二日町駅は駅長が廃止され、交換設備を撤去・無人駅に。鱒沢駅は駅長が廃止され、無人駅に。土沢駅は、 CTC化により当直勤務廃止・土沢駅長廃止・花巻駅長管理下となる。
1994年(平成6年)3月30日 普通列車の一部列車について、キハ100形気動車によるワンマン運転が開始される。
1995年(平成7年)4月1日 釜石線営業所が釜石駅内に発足。釜石線に「銀河ドリームライン釜石線」の愛称名がつく。
1999年(平成11年)4月1日 花巻〜釜石間、第二種鉄道事業(日本貨物鉄道)廃止
2000年(平成12年)10月10日 釜石線全線開通50周年
2001年(平成13年)12月1日 花巻地区の高校生などの区間利用客などに配慮して、「急行陸中5号」が快速に格下げ。愛称が「快速はまゆり」となる。このとき、「快速はまゆり」と全ての「急行陸中」に指定席が1両設けられるようになる。
2002年(平成14年)12月1日 「急行陸中」が全列車「快速はまゆり」となる。
2004年(平成16年)11月 臨時急行「陸中」が宮古〜仙台間を、釜石線経由で運転。
2007年(平成19年)8月11日 「釜石よいさ号」が、盛岡〜釜石間、キハ52系国鉄色車両(2両)で運転。
2007年(平成19年)8月31日 この日から9月2日まで、花巻〜釜石間、小牛田運輸区の「風っこ」を使用した臨時快速「風っこイーハトーブ号」が運転。
2009年(平成21年)3月20日 この日から3月22日まで、盛岡〜釜石間、八戸運輸区の「きらきらみちのく」を使用した臨時快速「きらきらみちのく釜石号」が運転。
2009年(平成21年)9月22日・23日 24系寝台車両4両+電源車1両をDE10で牽引する臨時快速「銀河ドリーム号」が、盛岡〜釜石間で運転。
2010年(平成22年)3月20日 この日から3月22日まで、盛岡〜釜石間、八戸運輸区の「きらきらみちのく」を使用した臨時快速「きらきらみちのく釜石号」が2年連続で運転。
2010年(平成22年)10月10日 釜石線全線開通60周年
2010年(平成22年)10月23日・24日 盛岡〜釜石間、盛岡車両センターの“Kenji”を使用した臨時快速「釜石線全通60周年号」が運転。

 

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